僕自身、今となってはWebエンジニアとして普通に働いているものの、過去を辿ると普通の人では中々味わうことのない経験をしてきました。
簡潔にまとめると、中卒ニートからWeb系ベンチャー企業のCOOとなり、昔の自分からするとまさか今の自分がCOOとして働いているなんて夢にも思っていませんでしたw
簡単な経歴や貴重な体験を、上から順に時系列で並べるとこんな感じ。
- 半分ニートとして生活
- はつり・改修工事の作業員として住み込みで働く
- 夜逃げして島でのサバイバル生活
- 洋食レストランのスタッフとして働く
- 6年間連れ添った元恋人との別れ
- 甘い話には罠があった!出張ホスト事件
- 地元でキャバクラのボーイとして働く
- 暗闇ボクシングフィットネスジムのインストラクター
- 検証ツールとの出会い
- 独学+テックキャンプでプログラミング学習
- SES企業でエンジニアデビュー
- Web系超ベンチャー企業で奮闘中! ← 今ココ
いざこうして経歴を書き出して見返してみると、色々経験してきたなぁ、、、と感慨深く感じます。
当記事は、僕の辿ってきた経歴や体験についてをプロフィールとして語っていく構成です。
この記事1つさえ読めば、僕の性格や人生感がきっとアナタにも伝わると思います。
自分語りかつ長文の構成となっているので、「仕方ない、読んでやるか。」といった優しい人だけ読み進めて下さいね...!w
いつか、僕の価値観や性格に近しい人と繋がって一緒に仕事ができたら嬉しいなぁ。という想いで書いたので、もし読んでくれたらコメント等もらえると喜びます。
エピソード1. 半分ニートとして生活
中学を卒業後、ミュージシャンになることを目指していた僕は、音楽の専門学校へと入学。その後1,2年は順調に通っていたものの、家庭の事情で音楽学校に通うことが難しくなり途中退学しました。
この時点では学歴も経歴も無く、お先真っ暗コース確定。。
両親は小学生の頃に離婚しており、母・祖母と一緒に実家で暮らす日々。僕には兄もいますが、既に一人暮らしをしていました。
学校を途中退学してからというもの、実家に引きこもり優雅にニート生活を送る僕。
しかし当時は音楽学校で出会った彼女(後に出てくる6年間連れ添った元恋人)がいて、家の距離もかなり遠かったことから、完全ニート状態では会うことができなかったので止むを得ず派遣のアルバイトを定期的に行っていました。
そんな堕落しきった生活に嫌気が差した僕は、心機一転家を出て彼女と一緒に暮らすべく、住み込みで働くことのできる、はつり・改修工事の作業員としてデビューすることに...!
その時の僕は、まさか初めて働く会社でとんでもないイジメが待ち受けているとは、思いもしませんでした。。
エピソード2. はつり・改修工事の作業員として住み込みで働く
住み込みで働くことのできる会社に採用された僕は、千葉の実家から東京の町田に引っ越し、彼女と初めての同棲生活を送ることに。仕事内容は、主にコンクリートを砕く「はつり・改修工事」です。
会社の人達からも快く迎え入れられ、ウキウキした気分で新生活をスタート!...したはずでした。
会社の中で最も年下だった僕は、入社してから2ヶ月後ぐらいからイジメの対象として扱われることに。そのイジメの内容が僕にとってはとても強烈で、耐え難いものでした。
瓦礫をどける為に使っていたバールで思い切り身体を殴られたり、サンダーと呼ばれる電動工具を水に浸し渡され、感電を強要されたり。ショベルカーで掘った深い穴の中に、ショベルカーで思い切り突き落とされたりなんかも体験しました。
酷い時は休日家を留守にしている間に、窓から家の中に不法侵入されて、勝手に家を使われていたなんてことも。
今こうして思い出しながら書いているだけでも、とてつもない怒りがこみ上げてきます。
イジメが起こるようになってからは、出勤するのがとても恐ろしく吐いてしまうこともありました。
当時は住み込みだったので逃げることもできず、不法侵入の件を警察に相談しても、会社内のことだからと面倒がられまともに聞き入れてくれず、精神的にも物理的にも追い込まれた状況。
限界に達した僕は、何を血迷ったのか夜逃げして、ある島でのサバイバル生活を送ることを決意しました。
エピソード3. 夜逃げして島でのサバイバル生活
会社が嫌になり「そうだ!島へ行こう!」と血迷った考えを閃いた僕は、ネット上で島でのサバイバルに必要なものを揃え、船のチケットを取り、彼女を連れてある島へと向かいます。(今思うと、よく彼女もついて来てくれたなと思います...)
ちなみに、揃えたサバイバルグッズはこんな感じ。
- テント
- 寝袋
- サバイバルナイフ
- サバイバルブック
- ファイアスターター
- 釣り竿
- 電池式ランタン
- キャンプコンロ
- 手回し充電器
- 乾パン
向かった島の名前は、東京から船で3時間程の距離にある『新島』です。
普通は観光で行く場所ですが、僕はサバイバル目的でこの島を選びました。周りが私服で船に乗り込んでいる中、僕だけが動きやすいようにと作業着を着ていたので、とても悪目立ちしていたことを鮮明に覚えています。
新島を選んだ理由ですが、その理由はズバリ、無料温泉があるから...!!!
サバイバル生活の中でも、身体は綺麗にしておきたいですからねw
新島は綺麗な海に囲まれているので、魚もバンバン釣れて食にも困らないだろうなと思っていました。しかし現実はそんなに甘くなく、全く魚を釣ることができません。
幸いリールを勢いよく回して針が戻ってくる過程で、魚のお腹に釣り針が引っかかり小指サイズの魚が何匹かは釣れはしましたが、生きていける程の量を釣ることができず、非常用として用意していた乾パンと新島にある水道水を飲んで過ごすことに。
結局、男のロマンが詰まったサバイバル生活は、2週間という期間で幕を閉じました。
エピソード4. 洋食レストランの厨房スタッフとして働く
サバイバル生活を終えた後は、社長へ対面で辞めることを伝え無事に退職。
始めからこうすれば良かっただけと思うかもしれませんが、人間追い詰められていると良い方向に考えられないものなんだなと、この時実感しました。
会社を辞め、住み込んでいた家を退去した後は、貯金を使って千葉で新しく家を借りました。今度は住み込みではありません。
家を借りたタイミングで、新しく洋食レストランでの厨房スタッフとして働き始め、可もなく不可もなくの生活をしばらく送りました。
この時唯一大変だったのは、勤務時間が朝の9時30分〜22時30分の計13時間勤務だったことです。
このまま飲食店の店員として働いていくんだろうなぁ。とぼんやりと夢も希望も無い自分の未来像を思い浮かべながら過ごしていましたが、ある出来事をきっかけに生活が一変することに。
エピソード5. 6年間連れ添った元恋人との別れ
「別れよう。」
その言葉は中学生の頃にも何度か経験しており、その時初めて言われた言葉ではありません。
しかし、それまでに過ごしてきた人生の中で一番重く心に突き刺さった言葉が、当時の彼女から言われたこの言葉でした。
6年間という期間を一緒に過ごしてきたので、なんとなくこのまま先も一緒に過ごして結婚するんだろうなぁ。と考えていましたが、見事に振られ、長かった同棲生活も一瞬で終了。
メンタルはズタボロで、食も喉を通らず生きる気力すら失う自分。
「本当に大切な人は失ってから気づく」とよく言われていますが、正にその通りで、失ってから初めてあの時こうしておけば...と激しく様々な出来事を後悔しました。
今振り返ると笑えますが、当時の自分はどうしても諦めきれず、復縁の方法を必死に調べていたことを覚えています。
そんな後悔と絶望に浸る生活を1ヶ月程続けた後、このままでは駄目だ。と、環境を変えることを決意します。
エピソード6. 甘い話には罠があった!出張ホスト事件
長年連れ添った彼女に振られ絶望を味わいつつも、なんとか気力を戻した僕は、ある1つの仕事の求人情報を見つけました。その仕事が『出張ホスト』です。
当時ガムシャラに働いて稼ごうとしていた僕は、少ない勤務時間で多く稼げるというこの求人にとても魅力を感じ、求人情報を見つけるやいなやすぐに応募しました。
肝心の仕事内容はというと、通常はお店で待機で、来店してきたお客に指名されると時間単位で給料が発生する完全歩合システム。
1時間お客とデートするだけで1万円の給料が発生し、それ以降も時間単位で料金は加算され、最終的に泊まりでの指名となると最大3万円程の金額を1日で稼げてしまうというものでした。
しかし、当然ながら甘い話には罠がつきものです。
応募した後すぐに体験入店の案内があり、まずは仕事を体験することに。
体験入店日当日、なんの疑いも持たず意気揚々で店舗へと向かう僕。バーのようなお店に到着し、1人の男性スタッフに迎え入れられ改めて説明を受けます。
開店時間を過ぎるとある一人の「男性」のお客様が来店してきました。そうです。「男性」のお客様です。その男性のお客様は泊まりのコースを選択し、他に待機していたスタッフと共に手を繋ぎながら外出していきました。
あくまでも、男性のお客様をターゲットとする出張ホストだったのです。
すっかり女性が来店するものだと考えていた僕は、この出来事に驚きと焦りを感じていました。スタッフはそんな僕に対して「大丈夫、すぐ慣れるから」といらない優しさを投げかけてきました。
そのまま逃げることもできず時間が流れ、店内は男性スタッフと男性客で溢れかえります。そしてついに僕も、1人の男性客に指名されることに。もちろん「泊まり」コースです。
指名していただいた男性と共に外に出ると、「それじゃあホテルに行こうか」とまさかの直球ストレート発言。
なんとしてもこの状況を切り抜けたかった僕は、まずコンビニに行こうと提案し、ホテルへ行く前に2人で行くことに。
コンビニに入った僕は、「店舗から着信があったので、掛け直したいから待っててほしい」と男性客に嘘をつき、電話をするフリをしながら1人でコンビニを出て、夜の街を猛ダッシュしながら逃げるのでした。
あの時の100m単位の足の速さは、自己最高記録だったと思いますw
エピソード7. 地元でキャバクラのボーイとして働く
辛い失恋でメンタルがズタボロになっている中、追い打ちのように出張ホストでの出来事を経験した僕は、数日の間途方に暮れていました。
その時は仕事もなく流石にこのままではマズイと感じ、キャバクラで働いていた学生時代の友達に久しぶりに連絡を取り、地元でキャバクラのボーイとして友人と共に働くことに。
店はそこそこ忙しく大変なこともありましたが、楽しみながら仕事をすることができました。
友人と一緒だったので学生時代のようにとても楽しく、キャストにも優しく接していただき、ほぼ毎日、営業終わりに店長の奢りで色々な場所へと飲みに連れて行ってもらったりもしました。
そんな生活を暫く続けていましたが、「今は楽しいけど、このまま一生夜の仕事を続けていくのはなぁ...」と考えるようになり、夜の世界から足を洗うことを決意しました。
エピソード8. 暗闇ボクシングフィットネスジムのインストラクター
夜職を脱する為に、何か自分の得意なことを活かせる昼職はないかな?と探していると、暗闇ボクシングフィットネスジムのインストラクターの求人が目に留まりました。
中学時代にボクシングジムに通っていた経験があった僕は、「これだ!」と真っ先に応募し、その後無事に採用されインストラクターとして働くことになります。
これで念願だった夜職からの脱出です。
仕事内容はというと、サンドバッグが何本も吊り下がった暗闇のスタジオの中で、爆音のEDMとスポットライトを激しく浴び、マイクパフォーマンスをしながらお客と共にレッスンを行うというもの。
初めこそ大変でしたが、繰り返しレッスンを行ううちに体力が向上し、僕のレッスンを狙って来てくれる常連さんも徐々に増え、楽しくレッスンができるようになりました。
しかし、大きな問題が1つだけありました。その問題とは「労働時間」です。
この職場では基本勤務時間が9時〜22時半の13時間半勤務で、残業を含めると0時を過ぎて終電が無く店舗に泊まるなんて日もしばしば。
デスクワークならまだしも、1回1000kcal前後消費するレッスンを1日に何回も行う職場での長時間労働は、身体にかなり負担が掛かっていました。
エピソード9. 検証ツールとの出会い
いつも通り仕事をこなしていたある日、会員管理用のPCでたまたま検証ツールを開きます。
当時プログラミングの「プ」の字も知らなかった僕は、検証ツールを見て「これは一体なんなんだろう?」と興味が湧いてきました。
検証ツールについて調べる為にGoogleで検索し、Webページを作るために使っているHTML・CSSを確認できるものだと知った僕。
検証ツールをいじると表示されているページの内容が変わることに感動し、その時初めてプログラミングを知り、もっとプログラミングを学んでみたいという感情が生まれました。
それからはプログラミングの学習方法について調べた後、Progateに登録し、書店でHTML・CSSの学習本も買って、出勤時・仕事の合間・帰宅後に夢中で毎日プログラミングの勉強を行いました。
2ヶ月程学習した後、職場で働いている他のインストラクター達の為に、HTML・CSS・jQueryを使ってレッスン時に使う音源の視聴サイトをレンタルサーバーにデプロイして公開。
作りはシンプルで簡単だったものの、初めて0からWebサイトを作り公開して皆からもとても喜ばれたことに対して、とても大きな達成感と喜びを味わうことができました。
この出来事が、僕がエンジニアを目指すことになったキッカケです。
エピソード10. 独学+テックキャンプでプログラミング学習
プログラミングの楽しさを知り本格的にエンジニアになることを決意したので、今まで以上にプログラミング学習に励むようになりました。
しかし、現状の長時間労働生活では取れる学習時間に限界があり、エンジニアになるにはかなり遠い道のりだと感じた僕は、仕事を辞めてテックキャンプに通うことにします。
テックキャンプの解説や感想は別途詳細に書いてある記事があるので、詳しく見たいは以下リンク先をご覧下さい。
無事にスキルを身につけ卒業した後は、テックキャンプの転職サポートには不満を覚えながらも、自ら転職活動を行いベンチャーSES企業のエンジニアとして採用され働くことに。
いよいよ念願だったエンジニアデビューです。
エピソード11. SES企業でエンジニアデビュー
SES企業でフロントエンド・バックエンド・インフラの案件を順番に行っていけば、優秀なフルスタックエンジニアとして成長していけると信じていた僕は、ベンチャーSES企業へと就職しエンジニアデビュー。
勿論、SESの悪評はネット上で散々見てきましたが、入社前に何度も代表とやり取りを交わしてこの企業であれば大丈夫と確信できたので入社しました。
「SESはやめとけ!」は本当か?元SESエンジニアが語る経験談
初めは開発を行える現場を強く希望していたので、経験年数5年以上の方でも弾かれるような現場に無理を言ってアサインしていただき、そこでHTML・CSS・JavaScript・Javaの実務経験を積みました。
念願だったエンジニアとして働いてみた感想は、素直に『楽しい』の一言です。自分で身につけたスキルを仕事にできるって、本当に素晴らしいことだなぁと実感。
SES企業でエンジニアデビューしてから約半年後、更なる高みを目指してWeb系の超ベンチャー企業へと転職することになります。
エピソード12. Web系ベンチャー企業 COOとして奮闘中! ← 今ココ
エンジニアデビューしたタイミングぐらいから、テックキャンプで同期だった仲間と共に、Web関連の案件を副業として引き受けていました。
本業と副業を並行して取り組む日々を送っていると、仲間の一人が1つの案件をキッカケに、あるホールディングスの1つの会社の経営を任されることになります。
この会社こそが、今僕が働いているWeb系ベンチャー企業です。
現在所属している会社 → 株式会社TECH FAMILY
会社の指示でひたすら動き、経営側のことは一切分からずただの会社員として過ごしていくよりも、経営側に立ち0から戦略を練って会社を大きくしていく過程にとても大きな魅力を感じた僕は、SES企業を辞めこの会社に転職をしました。
現在は、Web制作・開発, 名刺・ロゴ制作, ライティング, ディレクション, 経営戦略考案など、日々ジャンル問わず色々な案件や仕事を忙しくこなしていますが、毎日成長している気がしてとても楽しく過ごせています!
最後に
僕の経歴を見て分かる通り、人間やる気になれば過去の経歴なんて関係ありません。
実際に、元々はつり工事やキャバクラでボーイの仕事をしていた中卒の僕でも、プログラミングに巡り会ったことをキッカケに、こうしてWebエンジニア(COO)として楽しく毎日仕事をすることができています。
僕にはまだまだ大きな目標や、実現したい夢が沢山あり、これからもガンガンチャレンジして高みを目指していくつもりです。
このプロフィールを見てやる気が出た!なんて人が、いつか現れてくれたら嬉しいです!
とてもながーーいプロフィールを最後まで読んでいただき、ありがとうございました...!